MLBレジェンド(伝説のスター)図鑑

📚歴史を彩った13人の偉大な選手たち

ある中継で見かけたレジェンドたちをご紹介します

ハンク・アーロンとは?755本塁打の伝説

1954年、ミルウォーキーブレーブスでメジャーデビュー。
以降、毎年のように安定した本塁打を放ち続け、1974年4月8日には、当時の通算本塁打記録だったベーブ・ルースの714本を更新。
その後も記録を伸ばし、通算755本塁打という偉業を達成しました(現在歴代2位)。
1982年には、その功績が認められ殿堂入り。
長年にわたりMLBを代表するホームラン王として、ファンの心に刻まれています。

カル・リプケン・ジュニア(Cal Ripken Jr.)

1981年8月にメジャーデビューし、翌1982年には新人王に輝いたカル・リプケン・ジュニア。
その後もMVPを複数回受賞し、ゴールドグラブ賞も2度獲得。
遊撃手としては珍しい長打力と堅実な守備で、ポジションの常識を覆した選手と称されました。

1995年には、かつてルー・ゲーリッグが保持していた連続試合出場記録(2130試合)を更新。
最終的には2632試合連続出場という前人未到の記録を打ち立てました。

通算では3000本安打と400本塁打を記録し、オールスターゲームにも19年連続で選出。
2001年に現役を引退し、21年間のキャリアに幕を下ろしました。
今なお“アイアンマン”の異名で、多くのファンに愛される伝説的な選手です。

カールトン・フィスク(Carlton Fisk) ― “切れるな!”のジェスチャーで有名な一打

1975年のワールドシリーズ――
ボストン・レッドソックスとシンシナティ・レッズによる名勝負の第6戦は、互いに一歩も譲らない激戦に。試合は延長戦にもつれ込み、12回裏、レッドソックスの攻撃。

バッターボックスに立ったのは捕手・カールトン・フィスク
放った打球はレフト方向への大飛球。ファウルになるか、ホームランになるかの際どいラインに、フィスクは懸命に“切れるな、切れるな”と両手でジェスチャーを送りながら一塁側を駆けます。

そして――打球はポールに直撃!
劇的なサヨナラ本塁打となり、試合はレッドソックスの勝利。
この名場面は、MLBの歴史に残るワンシーンとして今も語り継がれています。

ドン・ラーセン|唯一無二の完全試合男

1956年のワールドシリーズ第5戦――
ヤンキースの先発ドン・ラーセンは、驚異的なコントロールで打者を次々と打ち取り、試合は静かに進行。そして9回2アウト、観客6万人以上が息を呑む中、最後のバッターを仕留め、**ワールドシリーズ史上初にして唯一の「完全試合」**を達成しました。

この偉業はMLBの歴史に刻まれ、ラーセンの名前は永遠に語り継がれることになります。

さらに、彼の「完全試合との縁」はそれだけにとどまりません。
引退後も、ヤンキースの後輩デビッド・ウェルズが完全試合を達成したり、ドン・ラーセンが始球式を務めたその日に、デビッド・コーンも完全試合を達成したという“偶然”も。

ワールドシリーズでの完全試合達成者は、今もドン・ラーセンただ1人。
伝説と呼ぶにふさわしい存在です。

ノーラン・ライアン|”速球王”が刻んだ7度のノーヒッター

通算324勝、歴代最多5714奪三振。
「速球王」と呼ばれたノーラン・ライアンは、メジャー27年間で数々の偉業を打ち立てたレジェンドピッチャーです。

特筆すべきは、ノーヒットノーラン7回達成という前人未到の大記録。
最後の達成はなんと44歳3か月。年齢をものともしない驚異のパフォーマンスでした。

しかし、彼のキャリアは順風満帆だったわけではありません。
1966年、ニューヨーク・メッツでメジャーデビュー。最初の5年間は29勝38敗と大きな目立った成績は残せませんでした。

それでも、エンゼルス、アストロズ、レンジャーズと移籍を重ねる中で才能が開花し、それぞれのチームでノーヒッターを達成。
三振を量産する投球スタイルと強靭な体は、時代を超えて語り継がれる存在となっています。

ロジャー・マリス|“61本塁打の衝撃”を放った男

1961年、ニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスは、
当時のメジャー記録だったベーブ・ルースの60本を超える、シーズン61本塁打を達成。
この偉業は、のちに“ミッキー・マントルとの本塁打競争”としても語り継がれています。

前年1960年にはMVPを受賞し、翌年も61本塁打で2年連続MVPに輝きました。
ヤンキース黄金期の中心選手として活躍し、ワールドシリーズでも3度の優勝を経験。

しかし、記録更新当時は「ルースの記録を破るなんて」と一部のファンやメディアからの厳しい反応も。
静かな性格のマリスにとって、これは大きな重圧だったとも言われています。

それでも、「61本」という数字は長く破られず、
その後の**マーク・マグワイア(1998)**まで37年間、マリスが単独記録保持者でした。

レジー・ジャクソン|“ミスター・オクトーバー”の異名を持つ男

1967年にメジャーデビューを果たしたレジー・ジャクソンは、
鋭いスイングと破壊力抜群の打撃で、長年にわたり強打者として君臨しました。

1977年には破格の契約でニューヨーク・ヤンキースに移籍。
その強烈な個性と発言は時にチーム内で摩擦を生みましたが、
いざ勝負どころになると、類まれな集中力と勝負強さを発揮。

特に伝説として語り継がれているのが――
1977年10月18日、ワールドシリーズ第6戦
この大舞台で、レジーは3打席連続ホームランを放ち、チームを世界一に導きました。

この圧巻の活躍により、シリーズMVPを獲得。
以後、“ミスター・オクトーバー”というニックネームは、レジーの代名詞となりました。

引退後もそのカリスマ性は衰えず、
野球殿堂入りを果たした後も、多くのファンに語り継がれるレジェンドの一人です。

カーク・ギブソン|伝説の代打サヨナラホームラン

1988年、カーク・ギブソンはロサンゼルス・ドジャースをワールドシリーズ出場へと導く立役者として活躍しました。
しかし、アスレチックスとのワールドシリーズ第1戦では、足の負傷によりスタメンを外れるという厳しい状況に――。

迎えた9回裏、2アウト1塁、1点ビハインド。
ここで、満身創痍のギブソンが代打で登場します。
バットを振るのもやっとという状態に、スタンドのファンも敗戦を覚悟していました。

ところが――
ギブソンが渾身のスイングで放った打球は、
ライトスタンドへ一直線に飛び込む逆転サヨナラホームラン

足を引きずりながらダイヤモンドを一周する姿は、
まさに**“魂の一打”**として今も語り継がれています。

この一打は、ワールドシリーズ史上初の代打による逆転サヨナラホームラン
カーク・ギブソンはこの劇的な瞬間で、MLB史に名を刻んだ伝説となりました。

ボブ・フェラー|高校生ルーキーが“火の玉投手”に

1936年、現役高校生でメジャーデビュー――。
ボブ・フェラーは、当時としては異例の若さでクリーブランド・インディアンズと契約し、瞬く間に注目の的となりました。

メジャー初先発では15奪三振
続く登板では**17奪三振(当時のメジャータイ記録)**をマーク。
10代にしてすでに“怪物級”のピッチャーでした。

1940年の開幕戦では、なんとノーヒットノーランを達成。
これは現在に至るまで、開幕戦でのノーヒッター唯一の達成者です。

さらにこの年、最多勝・最多奪三振・最優秀防御率の“投手三冠”を獲得。
その後も、**最多奪三振7回(1938〜41年・1946〜48年)**と、長きにわたってリーグを支配。

剛速球は“火の玉投手”と称され、
そのスピードと威力は、時代を超えて語り継がれる存在です。

ボブ・ギブソン|“大舞台の男”が刻んだWS記録の山

1960年代のメジャーを代表する本格派右腕、ボブ・ギブソン。
彼の真価が最も発揮されたのは、大舞台――特にワールドシリーズでした。

なかでも伝説と語り継がれるのが、1968年のワールドシリーズ第1戦
この試合でギブソンは、8回終了時点で14奪三振、
最終的には17奪三振というワールドシリーズ新記録を樹立。

これまでにも7連勝という驚異のワールドシリーズ記録を打ち立てており、
大一番に強い投手”としての名声を確固たるものにしました。

威圧感のある投球フォームと抜群のコントロール、
**「誰よりも恐れられ、誰よりも勝利に近い男」**と呼ばれた存在――
それが、ボブ・ギブソンです。

スティーブ・カールトン|“左腕のレジェンド”が刻んだ偉業

1965年、セントルイス・カージナルスでメジャーデビュー
2メートル近い長身から投げ下ろされる鋭いスライダーを武器に、
数々の強打者たちをねじ伏せた左腕――スティーブ・カールトン

とくに移籍先のフィリーズで開花。
1972年には、27勝10敗・310奪三振の驚異的な成績を残し、サイ・ヤング賞を受賞。
この年のフィリーズはチーム全体で59勝しかしておらず、
ほぼ1人で勝っていた”と評される伝説のシーズンに。

その後も勝ち星を重ね、1980年にはチームの初のワールドシリーズ制覇に貢献。
サイ・ヤング賞は通算4回受賞、奪三振数は歴代4位の4,136個を誇る大投手となった。

背番号32はフィリーズの永久欠番
1994年には野球殿堂入りを果たし、今なお語り継がれる左のレジェンドである。

トム・シーバー|“メッツの象徴”と呼ばれたエース右腕

1967年、ニューヨーク・メッツでメジャーデビュー。
1年目から16勝を挙げ、堂々の新人王に輝く。
当時のチームメイトには、若きノーラン・ライアンの姿もあった。

1969年には、25勝7敗という圧巻の成績を記録し、
メッツを球団史上初の地区優勝、そしてワールドシリーズ制覇へと導く。
まだ“弱小球団”のイメージが強かったメッツを、
一気に強豪チームへ押し上げた立役者が、他ならぬトム・シーバーだった。

1977年にレッズへ移籍すると、翌年にはキャリア初のノーヒッターを達成。
現役20年で通算311勝最多勝3回・サイ・ヤング賞3回の輝かしい実績を残した。

その実力と人柄から「The Franchise(球団の顔)」とも称され、
1992年には圧倒的得票率で野球殿堂入りを果たした。

フェルナンド・バレンズエラ|“フェルナンド・マニア”を巻き起こした伝説の左腕

メキシコの小さな町で育ったフェルナンド・バレンズエラ。
独特のフォームとカーブを武器に、1980年にロサンゼルス・ドジャースでメジャーデビュー

翌1981年、まだ20歳の若さで開幕投手を任されると、いきなり開幕8連勝の快進撃。
オールスターにも先発出場し、その年はまさに“フェルナンド・マニア”と呼ばれる社会現象に。

その勢いのまま、ドジャースをワールドシリーズ制覇に導き、
なんと史上初となる新人王とサイ・ヤング賞を同時受賞という快挙を成し遂げた。

ラテン系選手としての誇りを背負いながら、
その存在は野球の枠を超えて、文化の象徴とも言える存在に。
多くの人々の心を掴んだ、唯一無二のレジェンド左腕。

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